115:独り言〜なぜ、iPhoneなのかっ〜
2011年 10月 30日
なぜって、まずベランダでたばこを吸う時にイスが濡れてて座ることができなくなる。せっかくのくつろぎのヒトトキが中途半端なくつろぎになってしまう。
仕事に行くのも一苦労だ。自転車で仕事場に向かうのだが、着いてもカッパを脱いだりしなければならないので面倒だ。
こんなことを朝から考えなければならないので、うっかりケータイを忘れてしまったりする。
やっぱり雨の日は晴れの日に比べて大変なのだ。
さて、最近登場した「iPhone 4S」だが、売行きは順調のようだ。
これまでのSoftBankに加えて「au」からも発売されたのも手伝っての売行きだろう。
auからのiPhoneにはいろいろと問題もあるようだが、やっぱり電波がつながっての携帯なので、それが原因で買渋っていた人達も挙って「auのiPhone」を購入しているようだ。
ただ、「Android au」や「Windows Phoneはauから」とか言ってたわりに「iPhone」まで出しちゃったんで一貫性がなく「なりふり構わない」KDDIの商法にどうもついて行けないところもあって、キャリア会社としての人気は芳しくないらしい。
とはいえ、iPhone 4Sはあまり売れないのでは?という下馬評はどこ吹く風、かなり売れてるそうな…。
いっぽう、ライバルの「docomo」は新しい「GALAXY」を筆頭にいろいろなスマートフォンの新機種を発表して対抗している。
ニュース記事やWebニュースなどでは「デバイスの能力はiPhoneを凌ぐっ」とか「iPhoneではできないことをアピール」とか言ってるようだが、そもそもその時点でiPhoneに負けてるような気がする。
前にも書いたが、ガラケーでできることをただ単にスマートフォンに搭載しても「形の変わったガラケー」でしかないことがわからないのであろうか?
まぁちょっとはガラケーより進化した部分や画面がデカくなったとかメリットもあるが、特に日本製のスマホは全くの「カタチの変わったガラケー」にしか見えない。
では、機能も性能もそこそこなのになぜiPhoneなのか?
それはiPhoneだからだ。
ブランドなのだ。名前なのだ。
携帯小型カセットプレーヤーのすべてが「WALKMAN」であったように、携帯メディアプレーヤーが「iPod」であったように、スマートフォンが「iPhone」なのだ。
レグザフォンやギャラクシーなどというのは「他のスマホ」のカテゴリに区分されるのだ。
だって、自分の使ってるスマホの「OS」を知らないままに使ってる人が大多数なのだ。AndroidとiOSとの区分にもできない。
自分のスマホはiPhone、自分のスマホはiPhoneじゃない…で区分されているわけだ。
もっと簡単に言えば「基準がiPhone」なのだ。
だから…むちゃくちゃな言い方かもしれないが、「ホンモノ」と「ニセモノ」に近いものなのかもしれない。
日本のケータイメーカーにはスマホ戦略ではなく、今まで通りの「ガラケー」路線で行って欲しかった。そうすればiPhoneと渡り合えたと思う。
同じ土俵に乗ろうとしたのなら乗ってしまえばよかったのに、乗らずに今まで通りの商法で、それなのにカタチはiPhoneを模造する…。なんか、iPhone人気に乗っかっただけのように見える。
どんなにがんばって「iPhoneより優れてますっ」っていっても、基本的なトコが「真似」なので本家を追越すことなどできません。
OS自体がパーソナル的なAndroidなので自分たちでどうのこうのってのもできません。お金もかかるし。
まぁそんなことは解りきった上での商売なんだろうが、それに乗せられてる「ユーザー」がかわいそうで…。
しかし、これからのケータイのスタイルはこれでほぼ確定した。
これからはまた日本のケータイメーカーさんが付加機能をたくさん増やして、第2の「ガラパゴス・ケータイ」の時代がやってくるだろう。売る相手は世界ではなく国内だ。当り前だ、世界標準では戦えないのだから。買わされるのは日本国内のユーザーだけなのだ。
ユーザーは世界標準を持って、心して新しい時代を生きていきましょう。
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by tadapymac | 2011-10-30 22:36 | iPhone | Trackback | Comments(0)